読者の感想と考察

1986年12月15日の内村鑑三の霊言の中では「アラー」という言葉が使われているところがあって、これについて、旧約聖書とコーランの区別もつかないのかといったような疑問が持たれることもあるようです。アラーがイスラム教で唯一神とされているというのは常識的な話なので、「アラー」は旧約でなくコーランの言葉だと考えた人たちから非難を浴びるというのも理解できますが、キリスト教はローマ・カトリックやプロテスタントが主流の日本においては、アラブ圏のオーソドックス(正教)にアラーと表記する聖書があることはあまり知られていないことだろうと思います。内村鑑三のようなローマ・カトリックでもプロテスタントでもないキリスト教徒の霊人が、旧約の創造神をどのように呼ぶかについては比較的自由ではあるでしょう。霊言では、その前節で「エホバ」や「ヤハウェ」についても言及されているので、もちろん、エホバやヤハウェについて知らなかったわけではないということは言えます。生前、外観はユニテリアン主義の人で内容はオーソドックス主義の人を尊敬すると言い、「余は断じてユニテリアンに非ず」とも言っていた内村鑑三であるなら、「アラー」という言葉を使うことでオーソドックスの立場に近いということを示したかったのかもしれません。

日本語版ウィキペディアの「アッラーフ」の項を読むと、国教がイスラム教であるマレーシアでは、イスラム教徒でない人々が神を表す言葉として「アラー」を使うことを禁じられていたが、2021年3月10日にイスラム教以外でも使用することが認められたそうなので、仮に内村鑑三の霊言がいつの間にかマレー語に訳されているといったありえなさそうな事態が発生したとしても、マレーシアで法的に罪に問われることはなさそうです。しかし、イスラム原理主義者に殺されないという保障もなさそうです。逆にイスラム教徒の神は「アラー」であるはずなので、イスラム教徒は全員「アラー」と呼んでいるだろうと思っていましたが、最近どこかで聞いた御生誕祭での法話では、ウイグルにはアラーとは呼ばずに「エロ―ヒム」と呼ぶイスラム教徒がいるといった話がありました。ウイグルは中央アジアにも近くて中東系の民族も含まれていると思うので、エロ―ヒムと呼ばれるというのもありえることだろうと思います。そちらは無神論国家の共産党関係者に囚われないことを祈るばかりです。

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