読者の感想と考察

1990年7月8日の「勝利の宣言」という講演では、「私は昭和31年の7月7日、朝、潮満つるころ、7時ごろに生まれました。」と述べられ、講演の締めくくりでは、1991年7月7日の誕生日には 777,777人ぐらいの会員で 「7」という「勝利の数字」「完成の数字」を見せてくださいということが語られていました。

「私」とは講演者である大川隆法総裁のことで、昭和31年は西暦では1956年、生まれた場所は、今では「聖地エル・カンターレ生誕館」がある四国・徳島県の川島町ですが、モン・サン=ミシェルで生まれたわけでもないのに「潮満つるころ」という表現が使われているのはやや不思議な感じはします。

「7時ごろ」に生まれたとのことですが、別の法話か何かでは7時ちょうどではなく7時より早い時間に生まれていたことが話されていたかと思います。それについて、歴史的潮位資料として気象庁が提供している小松島(徳島県)の潮位資料で確認してみると、1956年7月7日の午前中は5時ごろが満潮で11時ごろに干潮となっていたらしく、生まれたのが7時より前だとまだ満潮のほうに近いので、確かに「潮満つるころ」と言えるでしょう。それにしても、どうして自身が潮満つるころに生まれたということを認識されていたのかは謎です。

誕生日については、ヤフーの知恵袋には、真偽は不明ながらも母親が徳島の会合で語ったこととして、7月7日は実際に生まれた日ではなくて誕生日を7月7日として登録したのだという話があるようです。それなら7月7日という日付に実際に何らかの意味が込められていたということの証左になるのかもしれません。しかし、古代のイエスや釈尊の誕生日が諸説あるというのは不思議ではないですが、現代で存命中の教祖の誕生日までもが伝説化しているということには驚きを隠せません。

この講演の約1年後の1991年7月15日に東京ドームで最初の御生誕祭が行われていますが、当日発表された幸福の科学の会員数は 1,527,278人だったようで、777,777人は過ぎていました。

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