読者の感想と考察

1990年7月8日の「勝利の宣言」という講演では、「私は昭和31年の7月7日、朝、潮満つるころ、7時ごろに生まれました。」ということで、「777」で「7」という数字が並ぶのには意味があるということが述べられています。

講演では、「7」という数字には「勝利」と「完成」という 2つの意味があると述べられていて、その「7」が3つ並ぶことにどれほどの意味があるかは知りませんが、「7」の数字の別の説明として、サタンの頭として闇の世界にいるルシフェルを表す数字である「666」に対して、「777」は全ての面でそれを凌駕することを意味しているということも述べられていました。「666」は『聖書』の「ヨハネの黙示録」に出てくる「獣の数字」を、アラビア数字で表現したものです。この講演は支援霊が大天使ミカエルだったと言われていますが、そのミカエルと双子の兄弟だとも言われているルシフェルというのは、昔は光の天使だったが人間として生まれたときに堕落して天上界に還れなくなり、地獄界を広げて敵対している悪魔だということで、今年の御生誕祭での法話「エローヒムの本心」を含め、いろんな法話や霊言で言及されていますが、すでにルシフェルの霊言というのは収録されていました(『エクソシスト入門』第二部第1章1節)。

他の宗教等で「7」が意味するものとしては、『聖書』の天地創造では休みの日を含めて7日間で完成したことになっており、ユダヤ教の神秘思想でも第7のセフィラであるネツァクは「勝利」を意味するとされています(守護天使はミカエルでなくハニエル)。1週間が7日であるのは古代バビロニアで天体が7つとされていたのが由来となっているようで、ユダヤ教の成立以前にも「7つの天国」とか「七大天使」という概念はあったのだろうと思われます。近代以降では、太陽光でプリズムを使った実験を行ったアイザック・ニュートンが虹を7色としたのは音階論と対比させたからでしたが、アメリカのニューエイジ運動ではミトラ教やヒマラヤ秘教の影響を受けた神智学系が「七光線」という概念を継承しています。キリスト教(カトリック)でも古代から「七元徳」や「七つの大罪」などがあり、インドではマハトマ・ガンディーの碑文に「七つの社会的罪」というのが刻まれているそうですが、「七つの社会的罪」は社会主義者のフレデリック・ルイス・ドナルドソンというイングランド国教会の司祭がロンドンで説いていた内容をガンディーが取り入れて広まったようです。

仏教には「過去七仏」という釈尊以前の仏陀を示す言葉があって、最初の仏陀である毘婆尸仏が誕生後に7歩して発したとされる言葉が「天上天下唯我独尊」ですが、無始無終の無常観を有する仏教であえて天地創造の創造者を特定するとしたら、その毘婆尸仏を生んだ者であるという考えもあり得るかもしれません。しかし、そう考えてしまうと仏教の成立以前の古代インドで究極の悟りとされていた「梵我一如」と似たような思想に帰着していきそうです。

幸福の科学で毎月7日と17日と27日に「七の日参拝」というのがあるのはこの講演に基づいていると思われますが、大川隆法総裁の生誕を祝う「御生誕祭」というのは必ずしも誕生日の7月7日に行われているわけではなく、1991年7月15日に東京ドームで行われた最初の御生誕祭では、「信仰の勝利」という講演で「エル・カンターレ宣言」がされました。

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